和道流空手道の起源 
                   
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                    明治25年6月1日、茨城県下館市に生まれた和道流流祖 故大塚博紀は、幼少時代虚弱体質のため幼いときから叔父 旧土浦藩武術指南役江橋長次郎に柔術を稽古させられた。 
                    明治38年「神道揚心流柔術」の門を叩いた。  明治43年4月18歳の博紀は、上京。 その後頭角を表した。 博紀は、大正9年6月1日同流派の免許皆伝を允許された。 
                   大正11年、当時「沖縄唐手」が復旧し始めており、博紀は、以来唐手の研究に没頭し創意工夫の据え、「沖縄唐手」と「古流柔術」の良いところをあわせた「神州和道流空手術」を創作。 
                    昭和4年、日本古武道振興会創立時と共に「和道流空手道」として同振興会に入会した。 この時、博紀の親友「小西康裕」が、「天然自念流」を名乗り入会。 この二流が、今の空手界の起源になる。 
                   
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                  沖縄唐手 
                   
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                    琉球島には、古くから空手の特徴とする「突く」「蹴る」の琉球拳法が存在した。 中国唐の時代、中国文化と共に、唐の拳法が伝来し琉球拳法と合わさり「唐手」となった。 
                    当時、琉球王が平和国家建設を唱え、島民に武器の所持を許さず、また、江戸時代には、島津藩の琉球統治政策により、さらに武器の所持、携帯を禁じられた。 この為、島民は武器を所持しなくても身を守る「唐手」が密かに島民の間で盛んになった。 いわゆる政治的弾圧に対抗して、琉球唐手は広がっていった。 黒人弾圧の裏で密かに作られて行った格闘技「カポエィラ」と似ている。   
1922年初めて、日本内地に「唐手」が公開された。 
                   
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                  和道流の心 
                     
和道流の理念は、「和」にあり。 和道流流祖 大塚博紀の言葉である。   「武の道は、ただ荒事とな想ひそ。 和の道究め和を求む道。」 
                   争うよりも至難の「和」を求める事。 本来戦うことを目的とする武術であるが、和道流の心は、「平和」を求む力と精神力を鍛錬することにある。 
                   正しい目的遂行の為には、如何なる困難にも耐えうる心、また、貫徹する心。 つまり強い精神力を持たなければならない。   
不屈の精神力を養い、強靭な体力を身につけるのが武道修行である。 平和促進ためでなくてはならない。 
                   
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                  和道流空手道の基本 
                    和道流空手道の基本は、「流す」「乗る」。  「かわし」「いなし」「捌き」「乗る」 
                   すなわち、相手に攻撃された技に対して、逆らわず力で受け止めず体のさばきによって受け流し、攻撃に転ずる。  これが一体となれば、相手の技を流した動作がすでに攻撃となっている。 これは、和道流の起源が柔術を取り込んだものだからである。 
                   また、和道流の形は小さいとよく言われるが、これは、「流す」「乗る」が基本の和道流ならではの、無駄な動きが無い最小限の力で相手の攻撃を流し、最短距離で攻撃に乗るから、自然に小さく、細かい動きとなるのである。  |